大阪高等裁判所 昭和41年(う)829号 決定 1966年12月21日
被告人 宇野かな
主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人猪野愈及び同川村フク子の連名作成にかかる控訴趣意書に記載のとおりであるからこれを引用する。
所論は、原判決は、労働基準法一二一条一項の事業主という概念を、当該事業の実態を問題とすることなく、単に風俗営業許可名義等の外観上営業利益の帰属主体と認められるものであればよいとの観点から夫文万伍に名義を貸したに過ぎない被告人に、右条項を適用しているのであるが、これは労働基準法の解釈について根本的な誤りを犯しているものであり、また被告人がどの程度本件事業に容喙し得たのか、実際の経営を掌握していたのか等についてなんら審議もしないで被告人を事業主と判断しているのであつて、原判決には法令の適用の誤りないし審理不尽による事実の誤認があるというのである。
よつて、所論にかんがみ記録を精査し、原審において取り調べたすべての証拠に、当審における事実取調の結果を参酌して考察するに、原判決の挙示する証拠によれば、被告人を原判示パチンコ遊技場(以下単にパチンコ店という)の事業主と認めるに十分であり、原判示事実について労働基準法一二一条一項を適用した原判決にはなんらの誤りはない。なるほど単に風俗営業の許可名義を貸したに過ぎない場合には右条項の事業主と認めることのできないこと及び本件パチンコ店の経営の実体を掌握していたのは、被告人の夫文万伍であることは所論のとおりである。しかし労働基準法一二一条一項本文にいわゆる事業主とは、通常事業利益の帰属者を意味するものと解すべきところ、そのゆえんのものは利益の帰属するところに責任を帰せしめるのが、公平の原理に適合し、行政犯の取締の目的にも合致するとされているからにほかならない。そして同条一項但書は、事業主に対する科罰の根拠を、事業主自身の注意義務違反すなわち過失に求めることを明らかにしている(この点判例は、単に『法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関し所定の違反行為を為したときは、行為者を罰するのほか、その法人又は人に対しても亦同条の罰金刑を科する』とする規定形式をとるものについても、これをいわゆる過失推定規定と解している。最高裁判所昭和三二年一一月二七日、大法廷判決、集一一巻一二号三、一一三頁、同三三年二月七日、第二小法廷判決、集一二巻二号一一七頁、同三八年二月二六日、第三小法廷判決、集一七巻一号一五頁参照)のであるから、同条の事業主というためには、事業利益の帰属者であるというだけではなく違反の防止に必要な措置をなし得る立場にあるものであることを要することは明らかである。そして前記利益帰属者を処罰する趣旨にかんがみれば、事業利益の帰属者である以上、個人事業である場合においても、それが直接であると間接であるとを問わず、何らかの意味で違反防止に必要な措置をとり得る立場にあり、またこのような措置を期待することが、社会通念上苛酷と認められないものである限り、これを同条一項にいわゆる事業主と解するのが相当である。
そこでこれを本件についてみるに、右証拠によれば、被告人は、昭和二一年頃から文万伍と内縁の夫婦関係にあり、その間には二人の子供があつたこと、文万伍は、昭和一三年頃から鉱山を経営しており、本件当時は、本件パチンコ店のほか、鉱山、喫茶店(パチンコ店内で経営)、ビリヤード等を経営していたが、同人は韓国人であるため、取引上の便宜もあつて、これらをすべて被告人名義で経営し、その利益等によつて買い受け、あるいは建築した土地建物等は、これを金融を得る際の担保にするための便宜と、併せて同人が韓国に引き上げたときの被告人及び二人の子供の生活等を考慮して、そのほとんどを被告人名義にしており、被告人の自宅、本件パチンコ店の建物及びその敷地等はいずれも被告人名義となつていること、本件パチンコ店の営業については、被告人はその風俗営業の許可申請をするについて、昭和三八年一一月自ら管轄の九条警察署に出頭してその手続をし、右許可についての警察官による調査に際しても、自らその調査事項に対する質問に答え、ことに資産ならびに信用状況についての質問には、土地、建物、鉱山その他全部で合計約一億円位を有する旨答えており、さらに雑談中に「場所からみて、はやるかどうか分らん」などと述べており、右パチンコ店の開店にあたつて二度までも行つていること、一方文万伍は、その経営する鉱山のある京都府船井郡和知町と被告人方とを半々位の割合で居住し、パチンコ店の営業は原判示金万斗及び文乙順(文万伍の妹)に委していたが、その売上金は全部被告人名義で預金していること、被告人は、事業の一環である自宅裏の前記ビリヤードの営業を、店員一名と共に担当し、同店の深夜の騒音についての警察官からの注意等に際しても、その応待をしている事実が認められるのであつて、以上の事実に徴すると、被告人は、文万伍のそれまでの資産及びその手腕に、自らの日本人としての信用を加え、両名共同して、被告人名義で鉱山、ビリヤード、パチンコ店、喫茶店等の一連の事業を経営していたものであつて、被告人は、単なる営業名義人ではなく、文万伍と共同して事業を経営し、右各事業によつて得た利益は、そのまま文万伍との共同の利益としてこれを取得していたものというの外はない。したがつて、本件パチンコ店についても、被告人は、同店の風俗営業の許可名義人であるものとして、営業担当者の労働基準法違反行為を防止するための注意義務を負担していたものというべきであり、その義務の履行を期待することは、社会通念上決して苛酷に過ぎるものとはいえないから、被告人は右パチンコ店営業についての同条一項にいわゆる事業主といわなければならない。
以上の次第で、被告人を労働基準法一二一条一項の事業主であるとした原審の認定は正当であり、原判決には所論のような法令適用の誤りないし事実の誤認はない。論旨は理由がない。
よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は、同法一八一条一項本文により被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。
(裁判官 竹沢喜代治 浅野芳朗 大政正一)